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2013年5月 2日 (木)

家康の健康法 粗食、鷹狩り、調薬そして側室

011  ↑駿府城の家康銅像は、65歳当時をモデルにして作られている
 平均寿命が30代であった当時。75歳まで健康であった家康の健康法は、三点、粗食、鷹狩り、調薬からできている。死亡原因であるてんぷらによって急死も、食いすぎなければ、80歳までいけたかもしれない。滝田栄[目からウロコの歴史旅NHK]よりヒント
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025030  「美味は月に二、三度で十分。平素は普通の食べ物が良い」と麦飯を好んで食べていた。
 麦飯は、たんぱく質、ビタミン、ミネラルなど豊富な栄養素をバランス良く含む健康食材。よく噛まないと旨味が出ず、自
C0197979_4585641然と噛む癖がつくため、脳の活性化や食べ過ぎ防止にも効果的。麦飯と焼ミソの粗食を貫いた。ケチであったからではなく、ダイエットが目的であった。粗食であると同時に、旬でない食べ物を好まなかった。

 今川の人質生活から離れ、ようやく一城の主ではあっても、信長の配下で「三方ヶ原の戦い」で武田騎馬軍団に蹴散らされたとき、馬上でクソを漏らしたといわれる家康の絵は、やせていたが、その後は、家康は太めである。

022_2  今川、織田信長、秀吉と臣従して、自分の天下は、寿命との戦いであると、考えていたフシがある。健康で長生きすれば自分の出番が来る。そのための臣従であると割り切っていただろう。それには、自分が健康で信長、秀吉より長く生きることだと考えていたからこそ、調薬を研究し。出陣するさいには、健康を保持する常備薬を作って持ち歩いていた。まあ、それは当時の常識であったのは、徳川光圀の「印籠」を持ち歩いていた。印籠とは、薬などを携帯するための小さな容器。

家康は、中国の漢方薬製造のために、医学書を研究して当時の日本トップレベルの043漢方知識を持っていたらしい。昭和天皇が生物学050 に詳しいようなものだ。
 今も知られているのは、
「八之字薬」=杜仲とちゅう、赤石脂せきしゃくし、牛膝ごしつ、を混ぜて、薬研で摺り潰し、丸薬にして持ち歩く。薬研ですりつぶして完成するには、8時間とか10時間かかるようだ。
薬研=薬草をすりつぶす道具、一度、私もコレで固い骨をつぶして、カルシュウム、コンドロイチンを作ろうと思って、「薬研いくらだろう」と見たら、3万3000円はするようだった。

 この丸薬は、血圧などに効く、家康の常用薬であったらしい。家康は血圧が高めであったのだろう。血圧を自覚していたから、漢方薬に依存していたとも考えられる。杜仲とちゅうなどは、最近「杜仲茶」として発売されているじゃないか。

 家康は、鷹狩りに生涯で1000回以上出かけている。ソレを記録して数えてあるというのは、エライ人は違う。民間人の記録は自分で書かない限り残っていないが、県職員や国家公務員は細かく記録が残されるている。葬式などに行くと、部長以上の公務員だった人は、「なんだら、カンダラ・・・」と何年に何職でと読み上げている。
 家康の「鷹狩り」は、今でいうゴルフで健康を鍛えていた気配である。「鷹狩りこそ一番の健康法だ。なまじっか薬を飲むより、ずっと良い」と、夏も冬もなく、早
朝から山野を駆け回った。起伏の激しい山野で行う鷹狩りは、足腰を鍛えられる他、運動後は食事もおいしく、深い睡眠を得られる。そうすると免疫力が高まり、病も遠のく、と信じていたようだ。

 家康のような特権階級は、自分の領地が狩場であり、勝手に庶民が入ってくると撃ち殺されるてしまう。猟場は、今は天皇の鴨狩り場くらいしかないが、江戸時代、江戸川が近いから猟場になる場所が多いのだろう。徳川家の狩りのため、青戸城(葛飾区青戸、環七と水戸街道の交差点)がそのための出城であった。

 家康は、戦国時代を駆け巡った人だから、馬術、剣術、水練、鉄砲など武芸の達人であり、絶えず体を鍛錬した。70歳のころでさえ、鉄砲で200メートル先の的に命中させたという逸話もある。視力も衰えていなかったと思われる。
 また、早起きして野を駆け巡る鷹狩に精を出し、足腰の鍛錬のみ
ならず、ストレス解消に努めた。さしずめ早朝ゴルフ出かけた。

 家康は、甲斐武田から本妻をもらっていたが、スパイ疑惑で織田信長から妻と長男殺害命ぜられた。その後は妻らしい人はいなかったが、側室は多かったから、子供は十六
人残した。その道も達者。健康でなければ、こうはいかない。ただ、側室の基準は、秀吉のように地位や美貌ではえらばなかった。子供を生める健康な体型で賢い知性を求めていた、といわれている。
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