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2013年5月 6日 (月)

歌手田端義夫94歳幸せな生涯

016  田端義夫という歌手を知ったのは、兄の「平凡」(月刊芸能誌)のグラビア写真ページだった。田端義夫がハワイで二世の娘と結婚!とあった。田端義夫より首ひとつ分、背の高いスラーっとした女性であった。初婚だったか、二番目の結婚だったか、私には記憶がないが、いつの間にか離婚していた。
 その結婚について、昭和25年コロのことだから、今調べても、その女性のことは出ていない。

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 そうだ、田端義夫の死後、流れてくる歌が音程も高くないし、歌詞も素直な言葉で、歌いやすいことに気付いた。
 立川談志が客、爆笑問題田中と太田が従業員のバーという設定に、田端義夫が現れるという動画があった。談志が田端義夫に歌をリクエストする。こんな映像は他にはない。貴重な画像だ。
http://youtu.be/siKrSZqBzFI

 田端義夫が歌手協会会長であったころ、ボランティア活動「じゃがいもの会」で森進一・森昌子が盛んにマスコミに取り上げられアピールしていた。無名歌手Aが、森進一と同じような独自のボランテイア活動をしてがんばっていたが、森進一の名前の前に沈没状態であった。歌手協会の会長である田端義夫は、陰でAの応援してくれたと、喜んでいた。
 たまたま、Aの著書のお手伝いをしていたので、田端義夫のできるのは歌だけで、言葉はワンフレーズで、長いスピーチはダメだとか、そんな話しをいくつか聞いた。
 田端義夫の死後、彼の幼少時代の話を聞くと、小学校へも十分行っていないし、貧困の中、歌しか彼にはない・・・というのも納得がいった。

田端 義夫(本名と同じ、1919(大正8)年1月1日 - 2013年4月25日、享年94歳):日本の歌手。昭和13年から現役歌手として活躍した。社団法人日本歌手協会名誉会長。愛称はバタヤン。
 水平に構えて持つ、アメリカのナショナル・ギター社製エレキギターと威勢のよい挨拶がトレードマークであった。
 三重県松阪市生まれ。10人兄姉(男5人女5人)の9番目、四男だった。第二次世界大戦中も興行を行い、名古屋、神戸、大阪で大空襲に遭いながらも公演を続けた。明るく気さく、前向きな人柄で知られた。私生活では4度結婚している。

 尋美夫人は「94歳、最高の人生だったと思います。入院中も毎日話して、ジョークばかり言ってました。最高の舞台人でした」と穏やかな表情で振り返った。
 田端さんは亡くなる2、3日前に容体が急変、安らかに息を引き取ったという。事務所の責任者である長女紗穂里さんは「(父は)好きなものを食べて、好きなことをして、いい人生だったと思います」と思いを馳せていた。

大正14年(1925年)に一家とともに大阪に出て行く。小学校3年の半ばで中退。栄養失調でトラコーマにかかり徐々に右目の視力を失う。
 その後、名古屋の薬屋やパン屋、鉄工所などで丁稚奉公を続けた。義夫は初任給をもらうと、そのカネをすべて米に換えて母の元へもっていった。母は義夫を抱きしめて泣いた、という。義夫の母思いの気持ちが伝わる。

その頃に見たディック・ミネのギターを持ちながら歌うステージに感動し、みずから音の出ないギターを作っては河原で歌い、次第に流行歌の世界に傾倒。音の出ないギター=イターと呼んでいたという。
 昭和13年(1938年)、ポリドールレコードの新人歌手北廉太郎の宣伝のため「伊豆の故郷」を課題曲とした新愛知新聞社主催のアマチュア歌謡コンクールに出場することを姉から勧められ、優勝する。
 ポリドールの勧めで上京し、鈴木幾三郎社長宅の書生となる。その時に知り合った同じ鈴木宅の書生が、「オースッ!」と挨拶することにヒントを得て、後にステージで威勢のいい田端義夫のトレードマークとなった挨拶、「オース!」を発案した。

 ポリドールレコードのイチオシ歌手北廉太郎が亡くなって、代わりに田端義夫が、昭和14年、同じく新進作曲家の倉若晴生の「島の船唄」(昭和13年)でデビュー
「島の船唄」
http://youtu.be/JVVaCjlmEYg 
 デビュー曲が当時レコード販売会社の組合で制定していた《ぐらも・くらぶ賞》を受賞するという快挙に恵まれた。
(昭和14年)
「里恋峠」http://youtu.be/puP3iWdLQqw
「大利根月夜」http://youtu.be/Hl7MhxDgKBs
(昭和15年)
「別れ船」http://youtu.be/_b6MWqifgQY
「梅と兵隊」http://youtu.be/DO2nMBFnuSA
「旅出の唄」http://youtu.be/_b6MWqifgQY
とヒットを続け、同じ会社のスター東海林太郎、上原敏と並ぶヒット歌手の地位を築いた。
 昭和16年、日本橋きみ栄らとともに中国大陸に戦地慰問にも赴く。その後は国内の軍需工場や基地を中心に終戦まで慰問活動を続けた。

 田端義夫の歌う「梅と兵隊」は、前線の兵の心情を言い当てる歌詞には、今現代の人が聞いてもグッと来る。
  梅 と 兵 隊
1 春まだ浅き 戦線の
  古城にかおる 梅の花
  せめて一輪 母上に
  便りに秘めて 送ろじゃないか


2 覚悟をきめた 吾が身でも
  梅が香むせぶ 春の夜は
  戦忘れて ひとときを
  語れば戦友(とも)よ 愉快じゃないか

3 明日出てゆく 前線で
  何れが華と 散ろうとて
  武士の誉じゃ 白梅を
  戦闘帽(ぼうし)にさして 行こうじゃないか

終戦後、昭和21年(1946年)にテイチクに移籍。「かえり船」のヒット累計180万枚を売り上げた。
かえり船/田端 義夫
http://youtu.be/iKgPJH1b6io

 戦前の流れを組むマドロス歌謡で人気を博し、「かよい船」「たより船」長津義司作曲「玄海ブルース」と昭和20年代を代表するスター歌手として岡晴夫、近江俊郎らとともに戦後三羽烏と呼ばれた。昭和15年(1940年)に松竹映画「弥次喜多六十四州唄栗毛」に旅人役として出演し、戦後は、大映映画「淑女とサーカス」「肉体の門」、新東宝映画「底抜け青春音頭」「アジャパー天国」など、喜劇映画を中心に多くの出演作品を残している。

昭和30年頃からは低迷の時期が続いた。昭和37年(1962年)、「
島育ち」を、会社の反対を押し切ってレコーディング。田端の地道な活動が功を奏し、は40万枚を超える大ヒット。カムバックを果たし、昭和38年にはNHK紅白歌合戦に初出場した。★

「新曲を出し続けることが、現役歌手の証し」と、その後も精力的に歌手活動を続け、「十九の春」「昭和三代記」「百年の愛」と平成になってからも新曲を出し続けた。★

一方、公演に訪れたアメリカ・ラスベガスのスロットで大金を掴むという話題も振りまいた。平成元年には勲四等瑞宝章を受章した。平成7年には林伊佐緒に代わり、日本歌手協会の5代目会長に就任。平成16年からは名誉会長の座にある。

1997年には、ロック・バンドソウル・フラワー・ユニオンの別動チンドン楽団ソウル・フラワー・モノノケ・サミットと、宮崎県の高千穂でジョイント・コンサートをおこなっている。

2001年12月には、BEGINの比嘉栄昇が作詞・作曲して田端に提供した「旅の終わりに聞く歌は」を発表(「島唄2」からシングルカットされた「涙そうそう」のカップリングとして)。
2013年4月25日、肺炎のため東京都内の病院で死去、94歳没。
レコーディングした楽曲の総数は約1200曲に達した。

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