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2013年4月20日 (土)

近藤くんと浜くんの記憶と記録 昭和36年3月27日

 最近、濱君のことが気になって、日記帳を探ってみた。カレの実家で泊めてもらったのは、いつだっただろう。日記を調べてみると、案外あっさりとしか書いてない。
 覚えていなくて書いてあることと、書いてないけれど記憶にあるコトがある。そんなギャップが気になってきた。
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Photo  学生寮の数人で、尼崎で療養している同級生の近藤君を見舞いに行こうとしていた。昭和36年3月末のこと。私は、同室の濱好洋君と一緒にまず彼の実家がある京都へ行く。

 覚えているのは、その京都(伏見区)の家で、総ヒノキの風呂へ入れてもらったことだ。ヒノキの香りに圧倒されたことしか覚えていなかった。彼の実家は歯科医院だったか?と記録をさぐったら、耳鼻咽喉科、浜医院だと書いてある。

 その日の朝、東京は雪だった・・・まるで覚えていないな。それで、カレと二人、タクシーで八重洲口までいく。東海道線急行「摂津」に乗って、東京8:13→京都13:19。約5時間だ。混んでいて、5時間立ちっ放し。新幹線のない時代だから、この急行が一番便利だったはずだ。このカレと同行してタクシーで、かつ東海道線一緒に何を話したかも、記憶はない。

 覚えているのは、その日の夕方、京都名物だというニシンラーメンをカレが奢ってくれた。それは日記には書いてないのに、覚えている。なにか、京都の伝統のような歴史のような話をカレがしていた。しかし、ニシンラーメンは、これ以後、一度も食べていない。

 翌日、難波君と大阪で合流するまで京都を案内してもらった。市電をうまく利用して、桃山御陵→京都駅・・・桜が咲けば見事だと、川沿いに歩く。→銀閣寺→法然寺・・・哲学の道を歩いて、南禅寺大門を見る。これは、浜君の京都初心者に紹介コースだったようだ。その考えで連れて行く。
 南禅寺の前にある「ゆどうふ」屋で、野趣あふれたてんぷらを食べた。適当に込み合っているが、親切な店であった。
①コンニャク・わさび、山芋汁(かゆ)サンショ、ネギ。
②田楽豆腐・わさび、ゆどうふ(少なさそうで量ある)はちみつ唐辛子汁
③精進てんぷら、野草のてんぷらで正体不明、原料はどこにでもある野草をてんぷらにしてあるから、安いものだろう。しかし、これが京都のシャレだろう。京都の独自性を感じさせ、満足感があった。
 京都人の浜君の好みを紹介してもらった印象で、その後、京都へ来るたび、ここへ寄って「ゆどうふ」セットを食べた。500円払った。しかし、日記には、一人180円、3人で480円と書いてある。
 それからタクシーで、熊野神社。金閣寺30円へ市電でいく。金ぴかの金閣寺・・・それから、竜安寺をみる。

 それから、浜君の父親の関係で知り合いだろうと感じたが、妙心寺へいく。住職の足立さん、気さくな人で、妙心寺の由来を説明してもらったり、禅寺の禅棒で叩かれたり、欄間には禅僧無学の書があったり、狩野派尾形光琳の襖絵の説明を受けた。この寺では、参勤交代の途上で、京都の宿泊所になっていたので、九州の鍋島、中国池田など大名が宿泊した寺だ。ズバズバと語る足立さんの話ぶりには圧倒された。
 そこから、歩いて数分、花園駅近くで「うどん」を食う。立ち寄る店は、京都のカレにはなじみの店のようだった。快速電車で大阪駅で、難波君、斉藤君と合流して4人となる。アレ・・・「ゆどうふ」を3人前払ったとき、私と浜君のほかもう一名は誰だっただろう?

 梅田発の阪神電車→野田乗換え、東大島で下車、尼崎、近藤君宅(姉、兄、父母)で、泊まった・・・記録は、ここまでであとは書いてない。

 学寮の同級三年がカレの家に集まった。
 カレは、手術後で、足の太ももの肉をそぎとってしまい、体力を消耗しているのに、我々を歓待して、布団を並べて寝ながら、夜を徹してしゃべっていた。こういうときの言葉を思いつかないので、口数が私は少なくなった。O君はそつなく、おしゃべりをずっと続けていた。

 一級上のNさんなどは、近藤君と同じ病気(肉腫)の人を知っているらしく、足の切断を躊躇したら再発すると危惧していた。やはりというか、この病気の恐ろしさを知らないと、切断の決心が鈍るのは仕方がないが・・・
 カレほど、親身になって私の心の内まで入り込んで相談に乗ってくれる人はいなかった。カレ存命なら、人生迷ったときに知恵を貸してもらえたのに、と残念でしかたがない。信愛学舎50年中、カレ以外、在学中に亡くなった人はいない。

 京都を案内してくれた 濱 好洋氏
 23歳在学中、志し半ば近藤富雄氏
 同級生でありながら、兄のような存在であった彼の冥福を祈りたい気分で、彼等のことを思い出した・・・ので、書いてみた。

 見舞いした後、一ヶ月余で、近藤君は亡くなった。(昭和36年)5月6日早朝、寮内のスピーカーで舎監岩波さんが伝えてくれた。岩波さんも、涙をこらえて病気の経過など、詳しく語った。

 私が信愛学舎でスピーチをしたとき、濱好洋氏、わざわざ(東海道線)藤沢から来てくれた。
 それは、既に松下電器を退職したのちであったが、海外工場の工場長など歴任したとき風土病に罹り、その後、体の自由が利かなくなった様子で、しゃべり方も遅くなり、動きも悪かった。それでも、遠路、私の話を聴きにきてくれた・・・。 
 それは、カレにとっては、「別れの挨拶」に来たのだったかもしれない。それに気付かず、私はゆっくり話せば、意思は通じるのに、あっさり話しを切り上げてしまった。いまでも、その時間を取り戻したい意識にさいなまれている。
 不自由な体で、奥様の由紀さんの介助なしに電車できてくれたのは、あの日は体調もよかったのだろう。 あれから三年ほどで、カレも黄泉の世界へ行ってしまった。年賀状に安否を問う文面を書いて出したときは、この住所には届かず、戻ってきてしまった。

 翌朝、大阪へ戻って、私は一人、天保山桟橋から小豆島へ渡る。皆としゃべりながら過ごしたのに、それからさびしいものだった。矢張り友達と一緒でないと、旅は面白くない。
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コメント

このために、もと動係のエネルギーについて 小さい基礎の悪がしこい心は適用できないのです。計算する式の石英の電子時計のカレンダー機械梅が更にできないことを指します 採用。

投稿: 腕時計コピー | 2013年5月17日 (金) 18時09分

記憶と記録 昭和36年3月27日

投稿: 記憶と記録 昭和36年3月27日 | 2016年7月20日 (水) 00時39分

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