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2013年3月 7日 (木)

ペナンたけし学校出身者が薬学大生に

00001   西アフリカのペナンから大統領が来て、たけしの番組にきて感謝の挨拶をしていた。たけし学校、所ショージ学校があるペナンは、国中で日本びいきだ。
 それに引換え、島田紳介の始めた学校建設は、彼の先導した多くの有名人の絵などの協力でいい感じで進行していたが、彼が芸能界を去ってしまって、今やあのプロジェクトはあやしくなった。

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025(ゾマホン、通訳、ヤイ・ボニ大統領)   日本語学校で日本語をしっかり学習して、できる子は数年でペラペラになる。所ジョージの「笑ってこらえて」ダーツの旅で「イタリア」「スペイン」「ブラジル」で見ると、世界に日本語に興味もって学習する人が増えている。

011  ペナンたけし学校出身者が横浜の薬学大生になっていた。 田中義剛の農場で、牧畜を学ばせるために、日本に留学生として来日させたら、日本のお役所からクレームが来たそうだ。詳細は聞いて板もよくわからないが、中国から来ている技術習得学生とのバランスか、200数十万円の上納金が必要だという。

アフリカのペナンも、ゾマホンの活躍で、日本人の中に周知したようだ。あの早口でドモル様な語り口のゾマホン・・・、彼とたけしの結びつきがなかったら、ペナンと日本の結びつきがこれほど強くならなかっただろう。

19 ゾマホンの人柄が好かれるから、日本に留学にも、保証人の高橋さんに援助してもらっている。高橋さんの工場で働いているとき、居眠りして左手の人指し指を切断。
 病院での入院費その他の諸費用は、全て高橋が負担。そのことを恩に感じ、ゾマホンは著作の中で「(高橋は)私にとっての神様です」と評し、また、著書に「故高橋政昭・氏に捧ぐ」と書いている。

ゾマホン援助 たけし、所ジョージ、田中義剛

ゾマホン・ルフィン(Zomahoun Idossou Rufin、1964年6月15日 - )
021  西アフリカ・ベナン共和国出身。オフィス北野所属のタレント、駐日ベナン国大使。
 TBS系列のバラエティ番組「ここがヘンだよ日本人」で外国人タレントとして日本で知られる。また、ベナン共和国第4代大統領ヤイ・ボニのアジア・オセアニア関連大統領特別顧問、駐日特命全権大使
(生い立ち)
 15歳の時に父親が急死し、父方の叔父の家(コトヌー市)に移り、中学校に通う。ゾマホンは成績は非常に優秀で、1986年に唯一の国立ベナン大学(現国立アボメ・カラビ大学)に合格したが、学費はもちろん、文房具を買うお金にさえも困っていた。

 授業で「日本人は、日頃、刀を挿して歩いていて、すぐにハラキリをする野蛮な人」という非常に野蛮な国と教えられた。しかし、同時に日本がベナンとは比べものにならない程の先進国であることに疑問を抱き、やがて日本へ行ってみたいという気持ちにつながった。
1987年に中国の北京語言与文化大学に国費留学した。

 中国で知り合った日本人の友人を頼って、1994年、自費留学生として来日。江戸川区・小岩でビデオカメラの製造工場、語学講師、引越し屋の手伝等のアルバイトをこなした。 午前中は日本語学校に通い、その他の時間はアルバイトに充てた。生活費を切り詰め食事は1日1食で、公園などの水のみで生活した時期もあった。このような生活がたたり胃潰瘍になった。

3164  「ゾマホンの本」という本の収益で、ペナンに学校をつくるから、買ってほしいという趣旨に賛同して、かなり売れた。私も一口と一冊買った。 「ゾマホンの本」で、六校も小学校ができたとは、スゴイ。彼の努力は、すごい。睡眠時間は通常でも1日3~4時間、少ない時は1~2時間の生活を送って今日の彼がある。
 私も、彼を見習いたい。才能があって、その上、努力家。そして、多くの友人に恵まれ・・・、いろいろ、本を出したあと、ワル口を言われ、日本を嫌いになった時期があるらしい。

Img_1477057_51879183_0 ペナンの美人というか、人気のあるのは柳原 可奈子タイプ、彼女自身が「ゾマホンにかわいいといわれた」と語っていた。細身の美人というのは、考えてみたら、骨ぽいし、遠目には綺麗かもしれないが、労働には向かないだろう。身を粉にして働くのは、尻が大きくて太めがいい。子供を多く生むだろうし、多少の苦労など感じないで働くというイメージがあるのだろう。

 ベナン歴史は、17世紀、ダホメ王国が成立した。ダホメ王国はヨーロッパ人の商人との奴隷貿易を主な収入源にして銃火器を輸入し、1730年に現ナイジェリアの王国によって服属させられたが、その後も18世紀を通して周辺の国を軍事的に攻撃して繁栄した。
 ダホメ出身のフォン系の奴隷は、ベナンの、港から積み出された。
人間を家畜として使う奴隷市場があったのだから、ヨーロッパに人間のやることは、日本人の想像がるかない。
 労働力として、アフリカ人が牛馬の代わりに売られていたのだ。ヨーロッパのやることは、戦時中に日本軍が「朝鮮女性を売春婦にした」どころではない。アフリカ側から、ヨーロッパ、フランス、イギリス、オランダに賠償を求めたなどと聞かないが、どうなっているのだろう。
 19世紀にヨーロッパ諸国の本格的な植民地化が進むと、奴隷貿易が徐々に廃止されたため、ダホメ王国の財政基盤が弱体化した。フランスとダホメ王国が、第1次、及び第2次のフランス=ダホメ戦争によって、1894年にフランスに征服された。
ベナン人民共和国
 1975年11月、ケレク政権は国名をベナン人民共和国に改称し、内政的にはベナン人民革命党(PRPB)の一党制に基づく社会主義路線を標榜、外交的には中華人民共和国に近づいた。
ベナン共和国
 ケレク政権は経済運営に失敗し、1990年代の社会主義陣営の崩壊を受け1990年にベナン共和国に改称し、複数政党制、三権分立、大統領制を骨子とする新憲法が国民投票で制定された。
 翌年の大統領選挙で、ケレク政権は敗北退陣、前首相のニセフォール・ソグロが大統領に選ばれた、議会もソグロ派が多数を占めた。しかし、1996年の大統領選挙でケレク派大統領に復帰。2006年3月、大統領選挙でヤイ・ボニが当選した。


 医師免許捨て、ケニア人妻と保育所を経営
 アフリカ、ケニアで日本人医師が行っている教育も、教育以前の生きるために給食をすることで、生徒を集めていた。子供たちは、前の晩ご飯を食べないで翌日学校、保育所に来て、給食を楽しみにしている。多くの子は、自分だけが満腹になると、妹や弟のために給食を残して家に持って帰る。これが、あまり説明なかったが、食べ物をもらうと、一人自分だけで食べるのではなく家に帰って分けてあげるのは、泣かされる話である

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コメント

とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!

投稿: 株の入門 | 2014年7月 2日 (水) 10時54分

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