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2013年1月12日 (土)

体罰教師の是非、非難するのは簡単だが

 体罰教師〈バスケット顧問)を非難するのは簡単だが、根が深いのではないか、と思っている。
 思い出すのは、登校時に遅れた生徒を入れさせないために、鉄製の門扉を閉めたとき、入ろうとする女子生徒の頭をはさんで、死亡させた体育教師がいた。
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Photo 長い社説を全部読むのは、シンドイだろうから、もっとも言いたい部分を取り出すと、次のようになる。01 
教育という面からいえば、「愛のムチという名の暴力で支配」は「いけない」で、結論付けられる。

 そんな綺麗ゴトを言っても、体育系の理論を変更しなければ、三日もたてば「元の木阿弥」だ。芸能界も先輩に逆らうことはできないし、体育系の学生が会社で喜ばれるのは、上に従順で使いやすいからだ。そこで自由に個人の意見を言おうなら、つぶされる。
 そんな風土があるから、「無礼講」とか、「ご自由に発言を」といわれて、本気にして個人的な意見をいうと、空気読めないKYといわれる。それは、韓国人が日本の会社で感じることらしい。

 序列の優先で、年長者、上位の実力者の命令がすべてに優先する。教育、しつけにはムチ使えば簡単に従わせることができる。昔のイギリスの教育では、ムチを打つのは、教育の初歩のことだった。
 戦後教育の中で、体罰が減ってきたが、戦後の民主主義とは言いながら、戦前からの教師はムチ、竹刀を持って生徒を殴っていた。廊下に水の入ったバケツ持って立たせたし、おでことおでこを合わせて、その間に拳骨を入れて抜くと、ゴツンと鉢合わせの体罰も、先生=専制はやった。それを生徒が慣れていれば、そう心身にショックにはならないのかもしれないが・・・。今の時代、幼少期から体罰を受ける経験がないから、ひっぱたかれると、高校生でも、ショックが大きいのだろう。
 誰でもそうだが、「褒められる」のと、「叱られる」のを比べたら、「褒められる」ことで、伸びる。「叱られる」ことで、反発して伸びる・・・人は少ない。と私の経験では思う。

 渋谷にある「シナリオ教室」に数年通ったが、作品をけなすだけで、「褒めてくれない」先生には生徒は付いてこない。
 自動車教習所で運転を習ってみると良くわかる。教師も叱られてみると良くわかるらしい。先生が運転習いに行って、叱られると、やる気を失うと、しみじみ語っていた。
 や
っぱり「七分ほめ、三分叱る」が教育の極意だろう。今の生徒では「九分ほめ、一分叱る」でないと、付いてこないかもしれない。「褒める」のは、甘くなりすぎる場合もあるが、「信頼関係」ができないと、「叱る」意味が伝わらない。

  スポーツがこれほど、持てはやされる時代になり、コーチ、指導者が君臨できるのは、なぜだろうか。
 一般紙を見ても、スポーツ冬枯れの時期でさえ、スポーツ紙顔負けのスペースを割いて書かれている。そんなに重要とも思われないことが、詳細に書かれている。私は、いつも、スポーツより、もっと人間に重要なことがあるだろう、と思っている。

 そんな背景が社会で共有されているから、部活が花盛りである。そして、顧問の技術が求められる。全員ではないが、体育系の教師、理系教師に共通するのは、生徒の個性を見るより、技能の向上が優先する傾向がある。全体に共通する文化的要素を見落とす。

 新聞の文化欄を熟読している人が少なく、人気がないのも承知でいえば、人の才能は、スポーツもあるが、文系の才能もある。あるいは、いろんな才能がある少年少女も取り上げてやりたい。
 たしか、スポーツの才能で十代で数億稼ぐ石川リョウ君のような人がいるが、彼等はそれなりに賞賛も褒章も得ている。それより、数学の世界的オリンピックで金メダルを取ったら支援し、その後マスコミが追跡報道してもいい。絵でも、文章でも、才能を公平に取り上げるべきだ。特に自分で切り開いた才能は、賞賛したい。スポーツの点でコーチのつく分は、割引しなければウソだ。結局、
コーチが教えて育つ面も確かあるが、人間、素材7割、努力3割で成績は成り立っているのではないか。

 たとえば競馬の素質は、ダービー馬を見ると、親の血統が影響してその馬の価値、販売価格が決まっているのが現実だ。あまりにも、優勝請負コーチを信じすぎて、普通の才能を引っ張りすぎて、ダメにしてしまうのは、気の毒だ。
 東大生でも、入学までにエネルギーを使いすぎて、入学後がまるでダメという学生がいるらしい。ホップステップジャンプで、伸びるように育てないと、人間をだめにする。人間25歳からが大事だ。

 しごきでしか、がんばらない生徒というのは、人はしごかないとがんばらないと思うのは、「人間性悪説」に過ぎる。
 少し「がんばれ!」といえば、人はそれなりの力を発揮する。本人のがんばりが成長である。早くにムチ入れすぎては、本当の実力が出ない。それ以上の「伸び」を期待するのは、
「育て!育て!」と、苗を引っ張りすぎて、枯らしてしまった中国の故事にあるように、間違っているのだ。

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コメント

本人のがんばりが成長である。
早くにムチ入れすぎては、本当の実力が出ない。それ以上の「伸び」を期待するのは、「育て!育て!」と、苗を引っ張りすぎて、枯らしてしまった中国の故事にあるように、間違っているのだ。

投稿: 中国の故事 | 2014年1月18日 (土) 19時30分

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