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2013年1月 7日 (月)

オウム菊池直子との「愛の逃避行」6年間

01  あの江川紹子が、オウムの逃亡犯菊池直子を匿って逮捕された夫(高橋某)にインタビューしている。高橋某(懲役1年6ヶ月執行猶予5年)が江川紹子の人柄に信頼して、興味深いことを洗いざらいすべて語っていた。「週刊文春」(1月3日・10日新年特別号)に独占インタビューが掲載された。

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20120605_2486883 5e2bb301b5ebf989091cf1cd4a8c85dd かなりの部分は、すでに報道されているが、高橋某が菊池直子に惚れて、菊池も彼の愛情に応えようとしている様子が良く伝わってきた記事であった。オウム事件さえなければ、菊池直子は気遣いのできる優しい優秀な女性である。
 あの頃の菊池直子はオウムに洗脳されていたから、何を言っても、オウムの指示通りの言葉しか言わなかったから、鉄面皮で走る爆弾娘だったかもしれない。

061  1996年11月以降は足取りが途絶え、2012年6月3日、「菊地に似ている女性を見かけた」との目撃情報を受けて警視庁捜査一課が担当刑事を相模原市緑区の潜伏先に派遣し、その時点では捜査員が菊地であると確信出来なかったが、捜査官が照合作業を行った結果、女性が菊地本人であると確認し、警視庁が殺人及び殺人未遂容疑で、通常逮捕となった。

  Wikipediaの情報から

 2007年3月から2012年6月まで5年間、菊地を匿っていた同居男性も犯人蔵匿罪で逮捕。

Grp0608081541  菊地及び同居男性の証言から、最後のオウム逃亡犯である高橋克也に関する証言が得られ、高橋は2012年6月15日に逮捕された。
 菊地に関する目撃証言を警察に提供したのは、同居男性の親族であり、2012年3月に同居男性が親族に保険証のない菊地が将来病気になった時の対応について相談したことが、同年6月の警察通報の端緒となった。同居男性は一審裁判中に保釈され、2012年11月22日に懲役1年6ヶ月執行猶予5年の有罪判決が出た。

011  取調べにおいて、菊地はサリン事件について「当時は何を作っていたか知らなかった」、VXガス事件について「事件にかかわったかどうかわからない」と容疑を一部否認し、東京都庁小包爆弾事件では黙秘をした。
 17年という時間経過から確定的な証拠が集まらなかったため、サリン事件とVXガス事件については不起訴処分となった。8月6日に東京都庁小包爆弾事件に絡んで殺人未遂罪と爆発物取締罰則違反の幇助罪で起訴された。


 二人の出会いは、
 高橋が倉庫会社で現業部門から事務職に移ったとき、隣の机にいたのが桜井千鶴子(菊池直子)であった。彼女は優しく清楚な美人で、パソコン操作が苦手の彼にいろいろ教えてくれた。仕事上の助け合いからプライベートの相談に乗るようになって、彼は彼女に惹かれていった、彼女も彼に好意を寄せるようになった。

 最初に告白して断られても、その理由を説明してくれなかった。彼は勝手に「彼女は既婚者か?」とも考えた。
 倉庫会社の古い建物のエレベータの傍で、あきらめないで、二度目のプロポーズした。やはり首を立てには振らなかった。彼は「どんなことがあっても、引かない」と言ったとき、彼女の職場内携帯無線機が「ナオちゃん、いますか?」と他の職員が呼んでいた。その「ナオちゃん」という呼び名があることから、彼女はポッツリと語った。「私、本当の苗字は『菊池』というの。指名手配されているの」その意味を彼は悟ったが、目の前にいる桜井千鶴子が菊池直子だとは、とても信じらなかった。
 彼女の休みの日、会社のパソコンで菊池直子の手配写真を確認した。それでも、桜井千鶴子が菊池直子であるとは思えなかった。結婚はできないが、一緒に住むことは同意してくれた。町田市で二人の生活を開始した。
 その後、警視庁の手配のホームページで説明していた「右目下のホクロ、鼻の頭の傷跡」を彼女にあることを発見し、ようやく確信した。しかし、彼女がヨガを勧めたり、オウムの教義を語ったりすることは一度もなかった。

 町田へ越したのを機に、派遣であった倉庫会社は、二人で退職した。無職になり、彼女の貯金で暮らした。次の仕事が決まるまで、二人で、広島、山口県萩市、高知県四万十川へ旅行をした。岩手にある彼の実家へより、彼女は彼の家で歓迎され、お袋の着物を着て記念写真を写したりした。兄貴夫婦も帰省していたので、一緒に盛岡城へ行った。
 その後、彼は内装業の仕事を本業として始めた。彼女も、派遣で事務職をいろいろやって、近所の人とも仲良く、飲み会で親しくしていた。ただ、話題でアイドルや漫画のことになると、10代からオウムの中にいたので、知らないことが多く、こっそり「流行っていたの?」と彼に聞いてきた。
 手配写真が町に貼ってあっても、彼女は別に動揺する様子もなく、彼のほうがドキドキしたという。近くのよみうりランドやディズニーランドへ遊びに行った。

 楽しいことばかりではなく、一度、家に泥棒が入り、内装業の売上金、彼女の溜めていたお金、合計二百万円を盗まれたが、警察に届けることを躊躇してしまった。

 二人が仲良くばかりしていたわけではない。ある日、ケンカして別れ話になって、朝起きると姿みえず、携帯に何度かけてもでず、後から聞いてみると、「一晩中歩いていた」という。別の時は、「あなたのところしか、帰るところはない」と、言ってくれた。

 彼女は菊池直子として、逃亡してきたとき、高橋克也と同棲していた。彼がプロポーズして、町田で一緒に住むことになったとき、「彼(高橋克也)に話をつけてこようか」というと、逆に彼の身の上を心配して、それはしないほうがいい、と高橋克也と会うことはなかった。
 町田への引越しでは、高橋克也が仕事で留守を見はからって、荷物の運び出しを協力して行なった。彼等二人が協力して溜めた金額から、折半した金額より100万円少なめを彼女は持ち出し、置手紙には、「お世話になりました。出て行きます」とだけ書いた。その後、高橋克也からは、別居に関して特にクレームはなかった。

 裁判に差し支えるので、詳しく話せないが、盗難事件のあと、一度だけ高橋克也と話す機会があった。「私は、今菊池直子と暮らしているものです」と自己紹介すると、しばらく警戒されたが、川崎駅前のショッピングモールの中のフードコートの中で、一緒に酒を飲んだ。酒の話はしたが、オウムの話、逃亡生活の話は一切しなかった。
 克也さんは「直子には悪いことをした。彼女を幸せにしてやってくれ」と強調して去って行った。彼(高橋克也)には、彼女への恋愛感情があったかもしれないが、彼女には、年の差もあり、何も感じていないようであった。二人の過去を詮索する気はない。

 「まだ、オウム教団に信仰心が残っているのではないか」と質問したことがあるが、彼女は「全然ない」と即答した。教祖麻原彰晃についても、「まったく尊敬していない」と。当時の教団内で起きていたことは、「本当にわからない」と繰り返し答えた。
 地下鉄サリン事件がオウム教団の犯行であると徐々に知って、特に教団が「坂本堤弁護士一家殺人事件」を行ったと知り、本当にショックだったようだった。彼女は、テレビで坂本堤弁護士の長男龍彦ちゃんの写真を見て、物悲しい顔でジッとしている姿を見たことがある。
 「彼女は、何よりも人を傷つけたり、殺したりすることが大嫌いですので、オウムが起こした事件を、彼女は何も知らされていなかったのではないか、私は思っている」と彼はいう。「彼女が私に語ってくれた言葉には、ウソはないと思っています」

 Wikipediaの情報から
 
埼玉県草加市で出生。父は大学教員で大変厳格教育熱心な家庭であった。弟は、後に国立大学医学部に進学し医師となった。後に大阪市城東区に移住し、菊地は、低学年からピアノを習い、外遊びをあまりしない子供で、当時倍率約15倍の大阪教育大学附属天王寺中学校に入学、バスケットボール部に所属。成績はトップクラス、真面目でやさしく人望が厚かった。
 その後は大阪教育大学附属高へ進学し、陸上部に所属。3000mで11分23秒の記録を持つ。校内のマラソン大会では常に大差をつけて優勝、地区大会で上位入賞を果たしたこともある。

 オウム真理教との出会い 
 陸上競技で痛めた足の治療のために、ヨガ道場に通った。そこは、オウム真理教信者が信者獲得の洗脳施設だった。結果として、高校3年生、1989年12月27日に家族の反対を押し切り、オウム真理教に入信。麻原彰晃の著作に触れ、神秘体験を経験したことであった。「エネルギーの強いタイプ」で激しいダルドリィ・シッディ(蓮華座を組んだ状態で体が激しくはねる。教団では空中浮揚の前段階とされていた)がよく起き、1997年にハルマゲドンが勃発し、日本に核爆弾が投下される瞬間、地下シェルターに潜んでいる夢を見たが、それを予知夢と信じていた。
 1990年4月に大阪教育大学教育学部に入学、大学には一度も通学せず、大阪支部道場近くの男性信徒のアパートで約1ヶ月間同居。親が雇った私立探偵に連れ戻されていた。
 5月19日に出家。最初に配属されたのは山梨県の富士清流精舎で、1日15時間くらいの修行を1ヶ月間続ける。「修行がつらい」と出家前に大阪で同居していた男性にもらす。
 8月には熊本県波野村へ行く。CBI(Cosmic Building Institute)とよばれる建築班のワークを行っていたが、当時は下向(在家信徒に戻ること)をするかどうか迷っていた。
 1990年の終わり頃、信者の子供を教育する「子供班」に配属され、このワークは菊地には非常なストレスだったようで「帰りたい」としばしば口にする。1991年6月には大阪で同居していた信者が下向して
2012060422324449d・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ しまう。
1991年夏には教団に陸上部が発足。9月にオウム真理教ではなく「オウム・スポーツクラブ」として加盟を認められた。陸上部は教団内
では世界記録達成部とよばれていた。
 菊地は同年11月の河口湖マラソン(3時間23分3秒、完走75人中24位)を皮切りに、1994年(平成6年)大阪国際女子マラソン(127位)にオウム真理教陸上競技部として出場し、一部週刊誌に取り上げられた経歴を持つ。ここから「走る爆弾娘」の異名を持つ。


オウム教団主要メンバーの経緯を見る
オウム麻原は、どう弟子を説得し従わせたか
オウム真理教が目指したもの: nozawa22 
麻原彰晃オウム真理教 上祐史浩の立場 

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コメント

彼は「どんなことがあっても、引かない」と言ったとき、彼女の職場内携帯無線機が「ナオちゃん、いますか?」と他の職員が呼んでいた。その「ナオちゃん」という呼び名があることから、彼女はポッツリと語った。「私、本当の苗字は『菊池』というの。指名手配されているの」その意味を彼は悟ったが、目の前にいる桜井千鶴子が菊池直子だとは、とても信じらなかった。

投稿: 直子 | 2014年1月21日 (火) 23時42分

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