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2012年12月 3日 (月)

いつか行く道 喪中はがきの返信

Photo  喪中はがきは、受け取りながら、「あの人に年賀状を出さないでいいんだ」くらいの認識で、知らん顔になりがちだ。今年は、返事を出そうと思う。

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 喪中ハガキを出したひとこそ、正月に年賀状がほしいと思っているに違いない。同じ正月なのに、誰からも年賀状が来ない正月ほど、さびしいものはない。年賀状は虚礼であると思いながら、もらう側は、出さないでおいて「今年も、あの人から来た」と満足している。

 十二月入ったばかりなのに、欠礼・喪中はがきが例年より多い。「いつか行く道」と、喪中はがきの返信に書いた。人生を歩む間には、多くの「死」という別れに出会う。中学生でなくなった友のことは印象が強い。彼は『鐘が淵』(木曽川)で飛び込んで、首の骨を折って死んだと思っていたが、鐘が淵しょうがふち、ってどこだろうと、友人に電話して聞こうと電話したら、彼は中津川市で葬式があって、今帰ったところだという。

 A先生(音楽)が書いた自伝冊子を、その友人に「貴兄の親類Tさんの話が載っている」とコピーして送ってあげた。親類というのは、友人の母の弟であった。
 数ヶ月前であるが、彼の母が100歳の祝賀の宴を行った。ここへ親戚一同が集まるから、それはいいプレゼントになると思っていたが、体調不良で欠席になったが、息子にソレを渡したということだった。 
 彼の母の弟Tさんは、病床に伏していたが、ソレを読んで、過ぎ去った青春を振り返って・・・喜んだと思うよ、ときょう今自宅へついたばかりで、葬式の印象が強く残っているから、彼は一気に話していた。

 その文章には、そのTさんが青年時代、中津川駅勤務で無賃乗車を捕まえて、警察へつれていったが、その青年が音楽が出来るということで、音楽会を手伝ってもらうエピソードがあった。

 彼の母が100歳で、これ以上身内で面倒を見るのは負担が多いから、今なら施設のアキがあるが、今後はわからないという話で、急遽施設で暮らすことにしたのだ、という。一安心の様子である。

 話は、元へもどって「鐘が淵しょうがふち」で彼は死んだのではない「しだらの森」じゃあなかったか。と話は混迷してしまった。昭和20年、昭和30年のことでは、あいまいになってしまう。

 ついでに、昭和22年のS家の結婚式で見た料理で、レンコンがないから、代用品にジャガイモに穴をあけて、レンコン代わりにしたと話したら、彼は隣の家の結婚式なのに記憶にないようだった。

 もうひとつ、ギヨンバ(おいでん祭)の提灯を飾る屋根の障子に油を塗って補強していたが、その油がない時代で、いわしの油を塗って代用していた。そんな話は、もう誰の知らないから、残しておいて欲しいといわれたので、に書いておく。

 彼も、喪中はがきがもう6枚きた。今年は不幸が多い年かもと話す。健康に気をつけて・・・もうひとがん張りしよう。と、電話は終わった。彼岸とは、あちらの岸

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