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2012年11月13日 (火)

森光子と赤木春恵 巡回劇団以来 刎頚の友

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写真は、森光子の巡回公演の写真、赤木春恵の古い写真はない。それはたぶん引き上げ時になくしたのだろう。  

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072  昭和15年、中国で日本軍が戦線を拡大しているとき、日本からいくつもの巡回劇団が回っていた。ある地で、赤木春恵が公演したのち次の地へ行くのに用意されたトラックを待っていると、彼女たちの前にトラックが止まった。そのトラックに乗り込むと、その目の前に、若い女優が座っていた。その子が森光子であった。若いもの同志で急速に仲良くなって、それ以来ずーっ徒仲良しで続いている。
20100812071208cb9 Photo  そのころのスターは紅一点のミスワカナで、その他大勢の中に森光子も含まれていたのだろう。下っ端女優同士で、意気投合した。

 「わらわし隊」は、吉本20110114031402興業が朝日新聞社と共同で、日中戦争勃発後中国大陸に派遣された兵士 を慰問するために1938年(昭和13年)1月13日、結成した演芸派遣慰問団。当時の帝国陸軍・海軍の戦闘機部隊の愛称であった「荒鷲隊(あらわしたい)」をもじって「わらわし隊」団長の柳家金語楼。

  紅一点のミスワカナは兵士に大いに喜ばれ、ワカナ自身、新聞社のインタビューで「……兵隊さんにもてたのはわたしが一とうですやろ。何しろ舞台に立っても『きれいなんが現れた』いうんでワイワイの大騒ぎでえらい人気。さてはサイン攻めにされほんまにもてすぎて弱りました。」答えるほどであった。「兵隊落語」で売った金語楼、粋曲の柳家三亀松

楽しみのない 戦場の兵士を慰めるために、笑いを届けることに吉本が協力したもの。もちろんタダではないから、その収入で、吉本は純益金5000円を朝日新聞社へ軍用機献納のために寄付。

074 赤木春恵は、あの戦争の辛酸 をなめてきた同志でないと、伝わらないものを共有していたから、「みっちゃんが天国へ行ってしまったことを受け止めるには・・・」と、ほかの人のように、簡単にはコメントを語るのが出来なかった。

036 巡回トラックの荷台の中で出会ったのが初対面であった。森光子が3つか、4つ年上であった。妹のような春恵に「ここが空いているよ」と声かけて、若い娘同士で話が合い、行動をともにした。戦争という異常な環境におかれたら、味方の弱いもの同志が力を合わせるしかないだろう。
 二人は、帰国はまったく別々であり、帰国後森光子は胸を患い、身を隠すように療養していたので、約二年劇団関係者にも音信不通で、春恵は森光子は死んだのだろうと思っていた。死んだことが連絡なくても、引き上げまでの混乱を知っているものには、そういうカンが働く。

 森光子は、以前の1944年戦地慰問先の南京において、肺浸潤を患っている。再発したのは、帰国して数年後であるが、病気で仕事をやめたので無収入の森には、治療を受けることは難しかったが、療養先が知人の縁者であったこともあり、担当医師が闇で仕入れたストレプトマイシンを森に『(実験)モルモット』として投与したことで一命を取り留める。京都山科において闘病生活。

 赤木春恵の大陸での様子を知っていたのは、森光子と関西喜劇の大立者になった藤山寛美である。
Photo_3  しかし、森光子も藤山寛美とも、満州時の思い出を語ることはなかったという。一度だけ、話が満州の話に及んだとき、二人は涙にくれてとても話をそれ以上続けることができなかったという。だから、多くの人はあの混乱の満州の話を避けている。引き上げ時の悲惨さを語りたくないのだろう。藤山寛美は、戦時中、皇軍慰問隊として奉天滞在中に終戦を迎え、一時ソ連軍に抑留された。
 まったくの第三者が聞いて、それを伝えていかないともう、すぐ消えてしまうかもしれない。

Photo_2Aハルビン B新京(長春) C奉天(瀋陽) D葫蘆(ころ)(引揚港) Aハルビン・B新京間は、東京←→名古屋間とほぼ同じ距離

 赤木春恵の話、再び、ハルピンに帰りつき、宿舎として、北京旅館(アパート形式)に宿泊した。そのとき、満州を統治していた関東軍はソ連の侵攻してきたさいには、日本の守るべき領地は、通化という北朝鮮に近い場所に防衛ラインを下げると決定していた。だから、春恵たちがハルピンに戻ったときは、すでに日本の統治機構はなかったのだ。このことは、民間人には一切しらされていなくて、ただ軍関係とその家族には引き上げ指示がでていた。
 この軍家族の引き上げ情報を聞いたなかにし礼一家は、悲惨な引き上げとは別に、うまく列車を利用して真っ先に帰国した。
赤い月 なかにし礼 母の満州体験: nozawa22

 終戦の天皇の詔勅を聞いた人々は、ソレっと一斉に動き出した。そうしたら、日本の政府は、混乱をおそれ、日本国内での食料不足、その他、引揚者を受け入れることが、一層の混乱を憂慮した。
 そこで、外地の日本人に何を伝えたか。
 Photo_4現地に定着していく方向をしめし、外地で暮らすことを勧めた。コレを聞いた教員だった作家の五木寛之の父は、悠然と引き上げ家財を満載の列車を見送り、遅れを取った。大連で終戦を迎えた五木寛之は、昭和20年の終戦から数ヶ月の記憶さえないと少年だったないという。つまり、あまりに非人間的な残酷な映像を見たというのだ。その記憶を消してしまったという。大連は、第一次世界大戦で、ドイツの租借地だったのが、日本に変わった地である。

赤塚不二夫の引揚げは葫蘆ころ島 
ソ連兵強姦の現実 手記 文藝春秋   
後満州引き揚げ 故郷への道 
我が子を手にかけ 満州引揚げ
 

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